地元大磯町のご紹介Vol,3<大磯町高麗周辺>

お久しぶりです。バラの花々も千秋楽を迎えるに至る季節となりました。以前に高来神社についてお話しましたが今回は高来神社周辺についてご紹介したいと思います。

高来神社の敷地内の東側には湧き水が湧いていました。水の流れは龍体そのもの。こちら水神様、龍神様として祀られております。

是非、水神様、龍神様にお水を差し上げ、ツキを読み込み、願い事を叶えてください。僕もこちらの神社のお力をもらい大切な願い事を叶えることができました。

写真は慶覚院(けいがくいん)というお寺。表紙の写真も慶覚院です。元々、神仏習合の聖地であった高麗、高来神社敷地内に高麗寺として信仰されていましたが、明治維新後、神仏分離となり高来神社のすぐ東側に移されました。こちらは高麗地区の中央的位置にあり、古くから居住していた人家が田圃に向かっていたので“前田”と呼ばれていた地域です。こちらの地域の水田の水源は主として高来神社より湧き出る霊水を引っ張ていた様です。

http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/look/jisya/keigakuin.html

慶覚院をしばらく北東へ歩くと蛇尾(へびお)と呼ばれていた地域にたどり着きます。高麗山には大蛇が山の主として住んでおり、大蛇が昇天するとこの里が大荒れするという伝説があると昔からこの地に住まれている方から聞くことができました。こちらの伝説から地名との関わりが考えられます。

高麗山の周辺は所々に泉があり、こちらの地域は清水と呼ばれていました。写真の泉を中心に集落ができた形跡が今でも確認できます。

清水の通り沿いに岩崎と呼ばれていた地域があります。こちらの地域の土質は砂岩質凝灰岩質で石垣、かまどなどに用い、石切り場の跡が岩崎には残っています。また一説には大昔はこの辺りの平地はほとんど海でここだけ岩の突出があって船どまりとなっていた説がある事を聞きました。このような状況とこの地名とは深い繋がりがあると感じました。

高来神社より西側の山に7世紀前~8世紀前のものと思われる古墳群があります。その中のひとつに釜口古墳があります。こちらは、先ほどご紹介した岩崎で切った岩石を用いて築造されたと考えられます。高来神社は高句麗の王族の神社であることは以前に言いましたが、釜口古墳の造営には高麗人の石切りの技術力が発揮されたものだと考えられます。出土された仏教関連の出土物は相模国で他に出てきた例はなく高句麗の王様が眠っているのだろうと思います。

高来神社の西側に化粧坂と呼ばれる東海道の旧道があります。こちらで紹介されている絵はすぐそこが海岸になっており、高来神社で漁業の神様が祀られていることや、岩崎が岩の突出があって船どまりとなっていた説があったこと、この辺に住む人が井戸を掘ろうとしたが岩がぶつかって掘れなかった事などから、僕らが住み普通に生活しているほとんどの場所は海だった事がわかりました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。是非、大磯に遊びに来て下さい。

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